【前編】インターネット元年に一念発起してメンバーズを創業!29歳で起業を決断した「ラストマン精神」創業者・剣持さんインタビュー

キャリア

今回はメンバーズの原点に迫るべく、創業者である剣持さんにインタビューを行いました。創業30年を超え、従業員約3,000名規模の上場企業を作り上げた剣持さん。しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。事業存続の危機を幾度も乗り越え、いかにして現在の「社会課題解決型」のメンバーズを築き上げたのか。

メンバーズが創業した1995年は、家庭用パソコンのWindows 95が発売されるなど日本で「インターネット元年」と呼ばれた年です。まだインターネットが「本当にビジネスになるのか?」と多くの人が半信半疑だった夜明け前の時代に、29歳で起業を決断した「底力」と、挑戦の裏側にある「ラストマン精神」に迫ります!

剣持 忠(けんもち ただし)
1990年、早稲田大学卒業後、日本合同ファイナンス(現 ジャフコ グループ)に入社。1995年、株式会社メンバーズを設立。2006年、名古屋証券取引所セントレックス市場上場。2016年4月、東京証券取引所市場第二部上場。2017年4月、東京証券取引所市場第一部指定。2023年4月、株式会社メンバーズ 代表取締役 兼 会長執行役員。2026年4月、同社 取締役(現任)。

▼剣持さんのキャリア&メンバーズ成長の軌跡(年表)

第1章:商売人の血筋と「社会善」への目覚め

剣持さんの起業の原点はどこにあったのでしょうか? 

私の生まれ育った環境は少し特殊で、周囲にサラリーマンが一人もいなかったのです。親も親戚も、中古車屋や建築屋、食堂の店主といった個人経営の商売人ばかりでした。だから子どもの頃から「大人になったら自分で商売をする」のが、私にとっては、当たり前のことでした。ただ、高校生の頃にある本を読んで、衝撃を受けました。

今では世界的な大企業も、元をたどれば個人が作った小さな会社だと知ったのです。それまでは「あんなに大きな会社は、国の機関か、何か特殊なコネがある人が作れるもの」と思い込んでいましたから。でも、事実は違いました。「親父たちのやっている個人商店と、世界の大企業は地続きなんだ」と気づいたときの興奮は忘れません。どうせ会社を作るなら個人事業ではなく、「あちら側(大企業)」に挑戦してみたい。動機はそんな単純なものでした。

お父様とは経営に対する考え方が大きく違ったそうですね。剣持さんは経営において「社会善(※1)」という価値観を非常に大切にされていると伺ったのですが、その思想はどのようにして生まれたのでしょうか? 

根底にある「嘘をつくな」「ズルをするな」という倫理観は、商売人だった親から叩き込まれたものです。ただ、経営の「目的」については父と大きく意見が食い違いました。 父や親戚の商売は、あくまで「家族が食うため」が最優先です。私が創業後に「会社を大きくするために投資したい」と言えば、建設業の父は「まず自分の資産(土地)を作れ。社員を増やすのはその後だ 」と正反対のアドバイスをくれました。父にとって商売は「身内を守る盾」でしたが、私はもっと広い世界に貢献したかった。父を反面教師にしていたわけです。「自分たちの利益のためだけに頑張っているからこそ、一定の限界が来るんだ」と。

だから、もっと社会に役立つ、困っている人を助ける、そっちにパワーをかけていくほうが、結果として会社も大きくなれるはずだと信じていました。この直感は、前職のベンチャーキャピタル(※2)時代に確信に変わりました。投資担当として、倒産する会社と、急成長して大成功する会社、 両方の生々しい姿を見てきました。そこで気づいたのは、立派な事業計画書よりも「社長の人間性」が結果を分けるということです。失敗するリーダーは、すべてが利己的というわけではないのですが、感覚や判断の軸が大なり小なり「自分自身のお金や名誉」に向いていたように思います。

裏を返せば「結局は自分のために経営している」と透けて見えてしまい、優秀な人材が途中で冷めて去ってしまうのです。逆に成功したリーダーは、そうした自分軸ではなく、例外なく「何か社会に役立つことをやろう」という外へのベクトルを持っていたのです。「ズルせずに、社会のために頑張る」。父から譲り受けた「誠実さ」を社会のために使うことこそが、自分が勝負できる成功のコンセプトだと思いました。

※1 社会善(しゃかいぜん):企業や個人の利益だけを追うのではなく、社会全体にとって良いこと、役立つことを追求する考え方。

※2 ベンチャーキャピタル(VC):高い成長が見込まれる未上場の新興企業(ベンチャー企業)を発掘し、成長資金を出資して経営支援を行う投資会社のこと。

第2章:インターネットの夜明け前。29歳の何者でもない私が「世界とのつながり」に賭けた理由

29歳で会社を立ち上げましたが、安定を捨てて独立することに、迷いはありませんでしたか?

じっくり時間をかけて準備するよりも、経験なんかなくてもいいのでエネルギー値の高い20代のうちにやるべきだと考えていました。もちろん、実際に期日が迫ってくると決断できず、独立を決めるまでは大変でした。でも、自分の思っているリスクを論理的に潰していったのです。そうやってリスクを一つずつ消していくと、「起業は一見ハイリスクに見えるけど、実はノーリスク・ハイリターンだ」と妙に腹落ちしたのです。 

創業当時の剣持さん

1995年の創業当時、まだ未知数だったインターネットに賭けたきっかけは何だったのでしょうか?

創業の1年ぐらい前に、インターネットと出会った瞬間の衝撃が忘れられません。検索エンジンもない時代、最初は誰もアクセスしないような日本の商店のホームページを見て、リンクをたどっていったんです。すると大企業のサイトに出て、そこからまた日本の政府機関のサイトにつながって、さらに海外へ、そして米国政府のホームページにたどり着きました。その一連の流れに衝撃を受けました。個人も商店も大企業も政府も、全部がフラットにつながっていて、こちらから能動的にアクセスできる。それまで情報というものは、企業や政府が一方的に発信し、消費者はただ受け取るだけのものでした。しかしインターネットの登場により、情報の主権が発信者から消費者に移り(※3)、個人が自らの意思で世界中の情報を取りに行ける時代が来ると確信したのです。政府や企業と消費者が、世界中でフラットにつながっていく。「世界がものすごく変わる。だったら、それを変える側の人になりたい」と心に誓いました。

※3 情報の主権が発信者から消費者に移り:テレビや新聞が情報発信を独占していた時代から、インターネットにより個人が自由に情報を得て発信できる時代への変化を指しています。

創業時のメンバーはどのような方々だったのでしょうか。 

当時インターネットの経験者が日本に100人もいない時代でしたから、経験者を採用すること自体が到底無理でした。結果として、創業メンバーは、さまざまな業種からの未経験の中途社員が集まることになりました。職人のように長年の修行が必要な伝統の世界とは違い、日進月歩で技術が変わるインターネットの世界では、過去の経験がアドバンテージになりません。変化が激しいということは、知識や経験の少ない新参者にチャンスが大きいということです。

美容師、警備員、マグロ問屋、靴屋、輸入雑貨屋など、まったくの異業種の人たちが集まってきました。彼らには専門知識こそありませんでしたが、わからないことを「わからない」と言える素直さがありました。そんな人たちの中から、経験よりも「乾いたスポンジのような探究心」を持っていて、業界を変える側にまわろうという意識の人を採用したのです。

社員全員が大きな電卓を持ち歩き、その場でネット広告の予測成果を計算してお客さま企業を驚かせたり、若さが「雑さ」に見えないようスーツをビシッと着たり、泥臭い努力で道を切り開いていきました。

第3章:「私ならもっとうまくやれる」という慢心が砕かれた日。どん底で覚醒した「ラストマン精神」

しかし、創業期の資金繰りは相当厳しかったそうですね。 

ベンチャーキャピタル時代に起業家を4人も上場に導いたという自負から、人の事業計画書を見て「私ならもっとうまくやれる」と自信満々でした。しかし、実際に自分で起業してみるとまったく思い通りにならず、お金も自信も失ってしまったのです。資金難のとき、妻の預金や個人の借入をすべて給料に回し、社員の給与支払いをしのぎました。毎月の月末は、午後からずっとATMで通帳記入を繰り返し、入金がなければ仕入れ先に支払いができないという恐怖で、じっとりと嫌な汗をかいた記憶があります。

そのプレッシャーと壁を、どうやって乗り越えたのでしょうか? 

業績が伸び悩み、会社の存続が危ぶまれた時期がありました。営業活動も不振が続き、どうすればよいかじっくり考えたくて、朝から街中をさまよったのです。最初は「起業の時期が悪かった」「お客さま企業の担当者の理解が低い」「社員がダメなのかも」と環境や他人のせいにしていました。気がつくと、辺りはすっかり薄暗くなっていました。そして夕日が見えて、やっと「自分が変わるしかない。すべては自分だ」と腹をくくったのです。

藁にもすがる思いでオフィスに置いていた風水の置物をすべて撤去し、社長の肩書に気後れして作った「メンバーズ課長 剣持 忠」という名刺をすべて捨てました。そして、一度断られたお客さま企業に電話し「なぜダメだったのか」を素直に聞く行動に出たのです。ほとんど断られましたが、何人かが親切に教えてくれ、そこで初めて気づいたのです。それまでの私たちは、「私たちが売りたいものを売っていた」にすぎませんでした。そうではなく、「お客さま企業の課題を解決する」というやり方に変えなければいけないと。

同じく明日をも知れぬ状況で、毎晩のように「夜明けは必ず来る」と励まし合っていた起業家仲間たちがいました。暗闇のトンネルの中で引き返さず、最後まで残った彼らは全員上場を果たしました。「誰かが助けてくれる」「環境が悪い」という甘えを捨て、「逃げ場はない。最後は自分しかいないんだ」と本気で責任を背負った瞬間、不思議と頭がクリアになり、乗り越えるための知恵が湧いてきたのです。この「ラストマン精神(※4)」こそが、活路を開く転換点でした。

※4 ラストマン精神:メンバーズで大切にしている言葉。他人のせいにせず、自分が「最終責任者(ラストマン)」であるという覚悟を持ち、自ら決断して困難に真正面から向き合う姿勢のこと。

後編へつづく

▼次回の【後編】は……

  • 上場後の危機とそれを救った「再建プロジェクト」
  • 東日本大震災が証明した「CSV経営」の力
  • 「参加者たれ」社名に込めた想い
  • 社員全員が主体性を持つ「全員参加型経営」